事件が謎のままの推理小説

私は本を滅多に読まない類の人間ですが、2時間ほど電車に揺られる用事があったので、本棚にあった適当な本を手に取りました。

それが、

恩田陸さん『木洩れ日に泳ぐ魚』

でした。

 

目的地に着く前にスマホの充電が20%になりたくなかったので、小説でも読んでよう、と思ったのです。

 

この本は約2年前に購入したもので、それから今まで本棚に綺麗にしまってあったのです。

母から勧められて読んだ『蜜蜂と遠雷』に心奪われ、恩田陸さんの他の小説も読んでみよう、と思って購入したのです。

元々本を読むタイプではないので、手に入れたことに満足して、3日後には買っていたことも忘れていたのです。

 

なんにせよ、読書量が年間10冊にも満たない私が1日のうちに読み終えたのです。

読んだ感想、というか感じたことを、記念に書いてみようと思います。

 

(以下より、少しネタバレ入ります)

 

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推理小説

小説の分野でいうと、ミステリー、なのでしょう。しかし、名探偵が真実を突き止めるだとか、1人の刑事が真相を明らかにするだとか、、そういった典型的なそれとは異なっています。

 

1組の男女がある男の死亡事件を巡り、一夜心理戦を交える、というのがあらすじです。

互いに相手が犯人だと勘ぐり、離別前夜に相手の口から白状させようとするのです。

 

話が進むにつれ、新事実が次々に表に出ます。伏線と思われる会話や場面も出てきます。

しかし、どれも事件の真相や小説の結末に結びつきません。

結局その事件についてはあやふやのまま終わります。

 

先ほど述べたように、この本は普遍的なミステリー小説とは異なっています。

推理小説は普通、謎の残る事件や事故を少ない手がかりや証拠から真相を追及する物語である。そこには大抵、警察や検察官や弁護士、名探偵などが登場する。

 

この小説は違います。

真相を追及する登場人物は1人の女と1人の男。手がかりが当時の記憶だけ。相手を犯人だと決める物質的証拠は出てこない。

だから、推理は思い込みでしかされないし、事件の結論(?)も憶測でしかない。

 

 

では、なぜ事件の真相が明らかにされないこの本がミステリー小説なのでしょう?

 

この推理小説が抱えるミステリーは、死亡事故ではなく、1組の男女だったのではないか。

 

私はこう結論付けます。

 

こんな推理小説、読んではいかがでしょうか?